SDGsコラム / 特集

COLUMN

「くるちの杜100年プロジェクトin読谷」~動画公開しました

「くるちの杜100年プロジェクトin読谷」~動画公開しました

今と未来をつなぐこと

 自分ではおそらく成果を見ることがないけれども、失ってはいけないこと、未来に残したいこと、子孫の喜ぶ顔につなげたいことは、実はたくさんあるのではないでしょうか。

 自然や社会は本当に壊れやすいものだということを、人類はやっと気が付き取り、組みをはじめています。SDGsの活動はその代表となるものであり、今と未来に責任を持つことだと考えています。

 「三線(さんしん)」の文化をみらいにつなぐ「くるちの杜100年プロジェクト」の草刈りの活動に参加する機会がありました。

沖縄の「三線」と「くるち」

 「三線(さんしん)」とは、約600年前に、中国から琉球に伝来し、「三味線」の起源ともなった楽器です。実は棹(さお)が大事とされており、その名の通り、幹の中央が黒くて密度が高く堅い黒木(くるち:琉球黒檀)は、伸びがよく深みがある音を響かせることができるため、その材料として好まれています。

 しかし、この「くるち」は、国内はもちろん、世界でもとても希少な木材となっています。特に、海外産の三線は棹にやわらかい木を使うことが多く、反らないよう太めに作られてもいることもあるそうです。

 そもそも「くるち」は、成長が遅いため、材料となるまでには最低100年はかかる上に、戦時中に、沖縄の「くるち」は焼かれ、戦後は三線製作のために木を伐るものの、植樹をしてこなかったことで、ほとんど国内産の「くるち」が手に入らなくなっています。

「島唄」から「くるちの杜」へ

 THE BOOMのボーカリストとして活躍したアーティストの宮沢和史さんが好きな沖縄民謡の要素を取り入れたつくられた「島唄」が大ヒットしたこともあり、趣味として三線を始めたり、沖縄音楽に親しむことが、沖縄文化圏以外でも一般的となりました。
 宮沢和史さんは、「島唄」は沖縄に少しは貢献したかもしれないが、別のものの見方で、三線の材料が減ったのであれば、時間をかけてその罪を消していくのが人生だと思われたそうです。

 そのため、まず三線の材料があることが重要と考え、「ダイナミック琉球」の作詞家であり、「現代版組踊」の生みの親であり、また当時沖縄県の要職にあった、演出家の平田大一さんにご相談をされました。その中で、2008年に世界遺産でもある読谷村座喜味城跡の周辺に、すでに2500本ほどの「くるち」が植えられた活動があることがわかりました。

 その活動を引き継ぎ、実行委員長に読谷村長が手を上げてくれたことから2012年に始まった取り組みが、「くるちの杜100年プロジェクト」です。

100年後の未来に文化をつなぐ「くるちの杜100年プロジェクト」

https://www.facebook.com/kuruchinomori/

 プロジェクトでは、植樹祭をはじめ、音楽祭、シンポジウムなどが開かれていますが、その中核となる活動は、3000本以上のクルチが植えられいる座喜味城跡公園北側「くるちの杜」で毎月行われている草刈りです。

 聴く人、弾く人、作る人、様々な人たちが、それぞれの思いをもった県内外の人々が集まり、「くるち」の周りに茂る雑草を刈っていきます。

 銅鑼(どら)とともに作業開始、銅鑼とともに中断・休憩・終了。そういったエンターテイメント性もある空間の中で、参加するみなさんが笑顔で汗をかきながら未来に思いをはせたり、楽しそうに会話や情報交換をしたり、交流や憩いの場、また新しい取り組みを発想する場にもなっています。

未来に文化を継承する

 ここで、特筆しなければいけないのは、今植えて手入れしている「くるち」が三線の材料になることを、ほとんどの参加している方がみることがないということです。自らの直接的な満足ではなく、未来の人たちが「くるち」でつくった三線により今の文化を継承していることを思い描いて取り組むという活動に様々な思いがうかびます。

 さらに、100年後に三線になるということは、沖縄戦のような戦争になることは100年間無かったことの証にもなるのだという言葉に平和な世界に文化をつないでいきたいという思いを強く抱きました。

 読谷村座喜味城跡は植樹するスペースにも限りがあり、分散もしていきたいという考えもあり、県内外にその活動の対象は広がっているとのことです。

 皆さんにとって、未来につないでいきたいこととは何でしょう?

学習テーマを探す

EXPLORATION